なこうど島

なこうど島
僕たちが外来種駆除と植生回復していた島です

父島から北に漁船で3時間で着く。

 

僕の第一印象は「赤い海」だった。
島の歴史はとても浅く、明治時代から人が住み開拓が進み

1907年に人口27人だったという。

ヤギの放牧やさつまいもの栽培で生活を営んでいた。

次第に人が離れ始め、

1944年太平洋戦争の強制疎開で無人島となる。

しかし、ヤギは取り残され、野生化する。

 

小笠原諸島には、哺乳類にとって危険となる生物は住んでいない。

無人化した時点で、ここはヤギの楽園と化した。

 

彼らは島にある豊富な緑を食べ続ける。
島から緑が減り続け、島は赤く染まっていく。

彼らは増え続け、海は赤く染まっていく。

 

島独特の赤土はどんどん地表に現れ、雨や台風によって海まで流出した。

 

島の植生回復プロジェクトは10年以上前から始まり、

ヤギは排除され、赤土流出を防ぐ人力ダムが並ぶ。

彼らが排除され約10年経って僕はこの島にやってきた。

それでもこの島と海は赤い。

 

もし、人間が帰ってこなかったらどうなっていただろうか?

彼らはどんどん増えていく、どんどん。どんどん。

 

赤土に植物が生えないわけではないが、育ちにくい。

それに彼らは新芽が好きだ。

植物の育つスピードと彼らが植物を食べるスピードが逆転したとき

赤土の露出は加速度的に進んでいく。

 

赤土はどんどん流れていく、どんどん。どんどん。

 

少ない樹木が倒れ始める。

水は一気に海へと向かう。

海を渡れない彼らはどうするだろう。

増えすぎた彼らは植物(食料)のない島でどうなるのだろう?

 

共食いを始めるだろうか?

弱いものから死んでいくだろうか?

彼らは絶滅してしまうだろうか?

 

もし、彼らが絶滅したらこの島はまた少しずつ緑を回復していくに違いない。

本当に少しずつ少しずつ。


これはあくまでも僕の頭の中でのシュミレーションに過ぎない。

本当にこうなるのかは誰にもわからない。


僕はこの話を、ヤギの話として話してるわけではない。

 

ただ、

なこうど島を地球、ヤギを人間と置き換えたとき
人間はもっと恐ろしいことを凄ましいスピードでしてしまうのではないかと思う。

 

いや、もうすでに始まっているのではないか。

Profile

 

そのまんま、自己紹介です♪

Journey's Diary

 

大学卒業後、国内国外旅してきて

 

撮り続けた写真と綴ってきた言葉を

まとめたものです

 

長くて多いので

暇な時に読んでください♪

Book of my journey

 

ひとり旅をはじめてから

カメラとノートを

常に持ち歩くようになりました。

 

その風景写真と短い言葉たちを

アメブロにて公開していました。

そのページをまとめたものです。

 

これまたたくさんあるので

暇つぶしにしてください。

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木をメインにした工房【旅をする木】の

作品集やものづくりへの想いを

ここにまとめています。

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