朝からたくさんのハイカーとすれ違う。
すれ違うハイカーに
追い抜いていくハイカー。
荷物がやたら多いだけではなく、僕は人よりも歩くスピードが遅い。
さらに、写真撮っているから1日に歩く距離も短くしなくてはならない。
ただ、追い抜く、追い抜かれるなんていう
そんな相対的なものなんていらない。
今、ここという絶対的なものだけでいい。
歩く旅はそれをはっきり感じることができるから好きだ。
(ヒッチハイクにも似たものがある)
Hallo again!!
振り返ると昨日出逢ったレンジャーがいた。
Did you took beautiful picture?
Yes,very beautiful sunset i took!
写真を見せると
あそこからこんなきれいな夕陽がみえるなんて!
っと、とても驚き喜んでていた。
歩き旅は再会も多い。
そんなとき、写真を見せることが多い。
歩く人によって、風景も道も光も影も全然見方が違うからだ。
写真は自己表現ツールではなくコミュニケーションツールだと最近よく思う。
レンジャーと別れ、昼頃には今日のテントサイトに到着する。
すると、3日前に出逢ったハイカーと再会する。
彼は僕の1.5倍の速さで進んでいたが
町に降りて1泊したからもう一度ここで会うことができたようだ。
『誰にも自分のスピードていうのがあって、
人よりも遅かったり早かったりする
誰にも自分のタイミングっていうのがあって
人よりもズレていたり同じだったりする
誰にも自分のルートっていうのがあって
人と違ったりかぶっていたりする
だから、出逢いも別れも再会もあるんだよ
だから、出逢いも別れも再会も意味があるんだよ』
そして、僕らはふたり焚き火を囲んで
静かに同じときを過ごした。
このミーティングを後日、ノートにこう書いている。
いったい誰がこんな山奥に来るというのだろう。
そんなところに素敵な出逢いがある。
気さくで優しく心穏やかな人が来る。
だけども、どこか影がある。
瞳の中にある心の中にある魂の裏側に
ひっそり佇む影がある。
時おり見せるその影に僕は微笑みを贈る。
すると、彼もまた、僕の瞳の中にある心の中にある魂の裏側に
ひっそり佇む影に微笑みを贈ってくれる。
こうして、僕らは出逢ったばかりなのに
「I like you」“me too”
と短い言葉を交わす。
いったい誰がこんな山奥に来るというのだろう
そんなところでは
いつも小さな物語が始まっている。