The 20 dollar
アメリカをヒッチハイクで旅していたときの話。
旅先で出逢った人や同じ時間を旅した人には必ず手作りの写真付き名刺を渡す。
グランドキャニオンに向かっている途中に乗せてくれた人にももちろん、渡した。
彼はとても喜んでくれた。
いつか日本に行ってみたいなぁ
そう、つぶやくと彼はポケットから20ドル札を一枚取り出した。
ぼくは断った。
簡単な英語で、これは売ることができない、と説明した。
彼はゆっくりと簡単な単語を並べてこう話した。
この20ドルは写真の値段じゃない。
きみの写真はとても素敵だ。
もっと多くの人にこの写真を配ってほしい。
だから、もっと長く旅ができるように
美しい景色を撮れるように
きみの未来のためのサポートなんだよ。
半ば強引に手渡されると彼は車に乗り込んで
サイドミラー越しに手を振り去っていった。
財布を開けると、20ドル札が何枚か入っていた。
よく見るとそれはアメリカ旅のために汗かいて働いて得た20ドル札だった。
街にはいろんな20ドル札が溢れている。
恋人へささやかなプレゼントを贈るための20ドル札
誰かを騙して得た20ドル札
大切なものを泣く泣く手放して得た20ドル札
ギャンブルで得た20ドル札
ストリートミュージシャンが魂を歌って得た20ドル札
物乞いが一日で受け取った20ドル札
20ドル札に描かれている模様はどれも一緒。
スーパーに持っていって買える品物も一緒。
なのに、僕には今手元にある20ドル札とそれらは全く違って見えた。
それどころか、全く違った価値があった。
お金を使いはじめて20年近く経っているのに、
ぼくは初めてお金の価値も心が決めているのだと気がついた。
彼がくれた20ドル札の隅っこに小さな☆を書いた。
その後、紆余曲折(アメリカヒッチハイク編で書いたので省略)を経て、たどり着いたグランドキャニオン。
念願の谷底トレッキングの最終日。
谷を一望できる見晴らしの良い崖で名刺用に写真を撮った。
この写真は今、名刺になっている。
この日の夜、月に照らされたグランドキャニオンを眺めながら
大きなピザを頬張った。
自分へのご褒美にと、☆の付いた20ドル札で支払った。
彼が今この景色を見せてくれている。
彼がこのグランドキャニオンの名刺の写真を撮らせてくれた。
ぼくはそう信じている。