文明がどんなに優れたコミュニケーション・ツールを産み出したとしても
学者がどんなに発展したコミュニケーション学を展開したとしても
人と人が目を合わせて話すこと以上に最高のコミュニケーションはないと思うのです。
僕は今、京都府和束町でお茶の仕事をしていて
昨日、この和束町に来てお茶の勉強をしている中国人の子と話した。
世界中のお茶に興味があるというその子に
日本語には「お茶をする」という言葉があると僕は教えた。
日本人は昔に比べたらお茶を飲む機会が減ったに違いないのだが
この「お茶をする」という言葉は今も若い人たちでも使う言葉だ。
飲み物はお茶じゃなくても良い。
ただ、目と目を合わせておしゃべりしたり、
ただなんとなく、ゆっくり時を共に過ごす。
そんな平和的な、友好的な言葉なんだと。
お茶しよ!
それは、お茶文化の合言葉なんだと僕は思う。
そして、それは間違いなく和の心を大事にした日本人の魂と繋がっている。
人と人が本当の意味でつながるには
コミュニケーション・ツールやコミュニケーション学なんかよりも
一杯のお茶のほうが、お茶をする時間のほうが重要なんだと最近よく思います。