5年前、ヒッチハイクで日本一周をしているとき
熊本と鹿児島の県境でのせてくれた老夫婦が自宅に招いてくれて
晩御飯をいただいた。
そのとき、はじめて(?)渋皮煮を食べた。
あまりに美味しくてばくばく何十個も食べたのを見て、
翌朝、中くらいの瓶まるごとプレゼントしてくれた。
それを僕は屋久島の山の中で毎日食べた甘い思い出が蘇る。
あの渋皮煮をもう一度食べたくて、自分で作ってみたら
ものすごーーーく手間と時間がかかったよ(笑)
中くらいの瓶1つぐらいの量をつくるのに3時間以上。
あの旅は素直に「ありがとう」と何度も言った旅。
僕は幾千もの人の優しさに生かされている事にやっと気づいた旅だった。
接客やマニュアルのための「ありがとう」ではなくて
ほんとうの「ありがとう」を知る旅。
そう思っていた。けど、違った。
それはまだまだ浅はかな「ありがとう」だったことに
いま、ようやく気がついた。
あの旅で僕は多くの人に家庭菜園で作った野菜や手料理を頂いた。
あの旅で僕は多くの人に車で観光案内をしてもらったり、ごはんを奢ってもらった。
その野菜や手料理にどれだけの手間と時間がかかっていたのか
最近、自分で畑をやってみて知ることだできた。
あの時間とお金を得るのにどれだけの仕事を日々こなしていたのか
どこかお金や時間に余裕のある人が僕の相手をしているんだと思っていたけど、
そうとは限らないじゃないか。
「こんなにもらっていいんですか?ありがとうございます!」
「まだまだ、栗はいっぱいあるんだからまた作ればいいんだよ!」
おばあちゃんはそんなことを笑いながら言って僕にくれた。
僕は目の前にある人の優しさだけに「ありがとう」と言っていた。
その後ろにあるその人の手間と時間に対して「ありがとう」と言えていなかった。
「おばあちゃん、ありがとう」
いま、少し遅れて感謝する。
自分で作った渋皮煮を食べてみる。
んーーー、まだまだだな、俺は!