次第に軽装のハイカーが減り、
大きなバックパックを背負った人とすれ違うのが増える。
標高は少しずつ高くなり、陽射しと乾燥が強くなっていく。
標高2000mを越える山の中なのに、半袖がちょうど良い。
のどの渇きが早い。
そう、昼間は暑い!!!
でも、ジョン・ミューア・トレイル上にはいくつもの沢があり、
休憩のときに目の前の沢の水をコップですくって
勢いよく口の中へ・・・
とはできない。
山の中の水とはいえ、アメリカの生水にはバクテリアがいるので危険。
セイシェルの浄水ボトルを使って水を作らなくてはいけない。
(薬品を入れて浄水するタイプもある)
自分にとって
一日の活動でどれだけの水が必要なのか?
朝ご飯と晩御飯、食後のコーヒーにどれだけの水が必要なのか?
それを知っている人はどれだけいるだろうか。
歩きながらふと、そんなことを考えている。
沢から水をくみ、
バンダナで一度濾過し不純物を取り除き、
浄水ボトルで濾す(これが意外と重労働)
1リットルの飲用水を作るのに10分近くかかる。
「原生自然の中でのキャンプならではのこと」
「もし、浄水ボトルがなかったら」
街では当たり前のように水道水があり、
ミネラルウォーターが買える。
それが当たり前じゃない時代にもちろん、浄水ボトルはない。
それを考えていると
不思議と、水と自分が近づいていく。
「水が汚れる=環境問題」という遠くて漠然としたイメージが
「水が汚れる=自分が困る」という近くて明確なイメージに。
水が汚れれば、生きていけない
ゴミで汚れても、汚染水が流れても
その水と自分が遠く離れているから
なんにも感じない、なんにも思わない。
だから、環境問題は解決しないし、どんどん進んでいく。
自然と近づくこと、地球と近づくこと
それはただ、自然を楽しむことだけではなく
日常の生活でどれだけ自然に頼っているか
そういう感覚も必要なのかもしれない。
Sunrise campに着くと碧く広がる草原に
小さき花々とリスの死骸が転がっていた。
すべてを自然に頼っている生命が
まだ、自分とは遠く離れていた。
DATE:Little Yosemite Valley~Sunrise camp 9.3mile(≒14km)