<雲ノ平への旅 1日目 〜道〜> 2021.10.4
新穂高~わさび平小屋~鏡平山荘~弓折乗越~双六小屋 テント泊
山に入り、登山道を進み始めると30分もすれば息が切れる。
日本の登山道は急峻であることが多い。
現在の日本にある登山道は4つの歴史がある。
ひとつは旧道と呼ばれる峠越えルート。
有名な旧道の多くは江戸時代に整備されたものだが、
それ以前にもたくさんの峠越えルートが存在していた。
利用目的はただ一つ、人や物の運搬である。
なので、集落と集落の間には必ずそのルートは存在し、
戦後の高度経済成長期までは当たり前の生活道として使われていた。
その旧道の一部は自動車が通る道となり、
また、一部はハイキングや登山道として残る。
そして、そのほとんどの道は無くなってしまったという、
二つ目は山岳信仰のルート
修験道や山伏、密教といったワードとのつながりが深いルート。
山頂への道のりや山頂をつなぐルートが今でも多く残っている。
東北や本州の霊山、屋久島などが有名で、富士講や熊野講もまたその代表例だ。
その宗教の力によって手付かずの自然が残ったルートでもある。
そのため世界文化遺産や自然遺産にしていされているエリアも少なくない。
ときに鎖場のような険しさはあるものの、美しい自然が残っていたり、絶景や文化遺産もある
バラエティー豊かなルートが多い。
三つ目は明治に入って欧州から持ち込まれた登山文化によって
開拓されたアルパインルート
クライミングという険しい山の頂きへの登頂を目指すルートだ。
ときには岩肌を登るようにして進む道も多く、
また雪山への登頂にも価値を置く。
この日本にも世界中から冒険家や探検家が訪れ、そのルートを確立していったのだ。
この文化の輸入によって現在長野や岐阜県、山梨県などに並ぶ北アルプス、南アルプス、中央アルプスなどの山々へのルートが切り開かれた。
そして、日本で新しい文化「登山文化」が誕生したのもまさに、このときだ。
四つ目は戦後に登山文化の発展とともに整備された新道
今回の舞台である雲の平への道の多くはこの新道である。
戦後の復興の中で、戦前に起きた登山ブームの復活を願った人々が
私財と自身の腕を使って切り開いたルートである。
その多くが今も「~~新道」という名前が付けられて、残っている。
今まであった道と違う点は短い距離と時間で主要ルートにたどり着くことを目的としているために、
登山口までアクセスしやすいものの、緩やかな道は少ない。
しかし、そのルートには山小屋や山荘が等間隔で配置されており、
飲料水はもちろん食事やトイレ、宿泊もできるため
多くの登山家を癒してきた。
もちろん、多くの遭難者や怪我人を救う役目もあり、
日本が安心して登山を楽しめる1番の理由はこの新道と山小屋を作り上げた先人と
それらを継いでいく人々の力が非常に大きい。
今回も山小屋で勤務している方と出逢うことが多かった。
山小屋での勤務生活は都市部での生活に比べたら、いや比べることができないほど不便だ。
お風呂にも入れないし(シャワーも週に数回というところもある)、ご飯もバリエーションが多いわけでもない。
どんな季節でも朝晩は冷え込むし、昼間の日光は強い。
仕事は女性も力仕事が多く、結構ハードだ。
服は相当汚れるし、使い捨てるつもりで用意する人が多い。
それでもやはり「山は良い」という言葉を必ず耳にする。
小屋から見える滑らかな稜線やどんと構える山頂、朝焼けの空、夕陽に照らされた岩肌、
朝露に輝く植物、可憐に白く染める霜、ときにひょっこり姿を現す野生動物。
空は一つしかないの見飽きることないほどさまざまな雲たちによるドラマがある。
今回の旅では初日にブロッケン現象に遭遇した。
標高の高い山でよく見られる現象で朝や夕方に多く現れる。
低い太陽光を背にし、目の前の雲(霧)に自分自身の影とそれを囲むように虹の輪が現れる現象だ。
この現象を見ると山に来たんだという実感が湧く。
そして、太陽光と水が作り出す芸術に息を飲む。
光と水。
その純粋でありふれた二つの奇跡の物質がなければこの現象は現れない。
そして、この自然界にあらゆるものが同じように、この二つの物質によって生かされている。
高山植物も、雷鳥も、雲も、人も奇跡の物質から生まれた奇跡の存在なのだろう。
これから山の奥地へと進んでいく。
日本最後の秘境雲ノ平へ。
先人が開拓してきたルートを辿りながら、人々に知られずにひっそりと生命を積み重ねている秘境を目指した。
そこにはどんな奇跡の生物が佇んでいるのだろうか。
楽しみにしながら寝袋に入って眠りにつく。