白馬三山の旅 ~ウィルダネスエリア~
1日目 8月8日 猿倉~白馬岳頂上宿舎・テント場
ウィルダネスエリアという土地がある。
直訳すれば「原生地」と呼ばれる。
原生林や砂漠、高山地帯、荒野など人間の開発が行われず、また小屋や橋など建築物がないエリアを指す言葉で
アメリカでは指定されたウィルダネスエリアにはあらゆる開発が禁止されている。
今回の旅の目的の一つ「大雪渓」もまたウィルダネスエリアと呼べる地域だろう。
数kmに及ぶ大雪渓を軽アイゼンを使って登っていく。
日本の高山地帯には夏でもなかなか解けない万年雪がたくさんある。
そのなかでも谷に残る大きなものは雪渓と呼ばれ、
日本三大雪渓の一つがこの白馬岳にある。
(残り二つは針ノ木と劔岳)
雪という字が使われているが、実際は氷の塊で軽アイゼンがなければ足が滑ってとても歩きにくい。
雪渓を歩くときの音も、氷に歯が突き刺さるザグザグという音が響く。
この氷の塊である雪渓がゆっくり動いていることが確認されれば、「氷河」と認定される。
最近まで日本には氷河がなかったと考えられていたが、調査方法の技術が進んだことで2012年に日本にも氷河があることが確認された。
現在までに立山の内蔵助・御前沢雪渓、剣岳の池ノ谷・小窓・三ノ窓雪渓、鹿島槍ヶ岳のカクネ里雪渓、唐松岳の唐松沢雪渓が氷河に認定されている。
(すべて北アルプス国立公園内)
この氷河が動いて削った後がカールと呼ばれる地形で、これもまた高山地帯を旅するときの名所となっている。
大雪渓を登る道は毎年毎年変わる。
上に積み重ねていく雪も変わるし、年によって量も違う。
だから安全なルートを人々は見つけ出し、跡を残し、踏み固めて確かなものにする。
ウィルダネスエリアの旅路はどこも同じだ。
アスファルトや低山のトレッキングルートと違って、変わらない道ではない。
毎年毎年、変わり続ける道なのだ。
だから、ときに人が安全に旅できると判断できない場合は閉鎖されることもある。
再び復活するまで数年かかることもよくある話だ。
それでもこういったルートが必ず復活し、毎年開かれるのは私たち人間にとってウィルダネスエリアは冒険心や好奇心を刺激するところなのだろう。
実際にあまり山岳ルートを好まない私にとっても、この大雪渓を歩くことは楽しみの一つだった。
ウィルダネスエリアには「荒野」という言葉も似合う。
そこには自然の優しさや安心感よりも圧倒的に畏怖や恐怖が大きく人間に襲いかかる。
そこから山岳信仰が生まれたのだろう。
もともとこういった山岳は信仰の対象ではあったが、山頂を目指す旅の対象ではなかった。
そのため、今でもネパールや日本では人々が山に入るシーズン前に必ず山開きによる祈祷が行われる。
「山をなめてはいけない」
その言葉を相手に突き刺さるように語る人たちには必ず山で自分か仲間が危険な目に遭った人たちだ。
体力も、経験も、祈りも届かない、いや通用しない聖域がウィルダネスエリアにはある。
そんなウィルダネスエリアに足を踏み入れ、山頂にたどり着くことをスポーツのように発展させたのがヨーロッパのクライミング文化だった。
ヨーロッパの自然に対する価値観にはどこか「征服」の意味合いが強い。
恐怖を克服するものこそ、勇者の証だった。
だから、人類未到達の場所にたどり着く人々は旗を掲げようとする。
敵国の城を落とした時に旗を掲げるように、旗は征服の象徴だった。
日本にも「アルプス」という言葉がつけられた山岳地帯がいくつもあり、その高山地帯はウィルダネスエリアに近い。(山頂付近にはいくるも小屋があるが)
アメリカのウィルダネスエリアには入場規制があるし、ヨーロッパは開発が進みすぎてウィルダネスエリアと呼べる地域は少ない。
日本ほど気軽にアクセスできるウィルダネスエリアはない。
しかし、日本のウィルダネスエリアほど危険に満ちた場所もないと思う。
実際に日本では毎年一年を通じて遭難・事故による怪我や死亡件数が多い。
山に入るとき、もしあなたが「ワクワクの好奇心」と同じかそれ以上に「ドキドキの緊張や恐怖」がなければ、
一度足を止めて、山の怖さを思い出す必要がある。
ウィルダネスエリアで死ぬことがあなたの目的ではない限り、つまり生きて帰ることが目的なら
山の恐怖を克服し征服する強い心よりも、危険だと感じたら撤退し逆らわない弱い心が必要なのだ。
しかし、その弱い心とは地球の生命の歴史から見れば生き残るための武器であることは知っておいてほしい。
大雪渓を一歩一歩確実に登りながら、ときに見つけるクレパスや落石の恐怖をじっと感じる。
ウィルダネスエリアには街では失ってしまったほんとうの自然がある。
そこには人間社会が覆い隠した恐怖がむき出しになって、人間にぶつかってくる。
それこそが、地球そのものであることを思い出させる旅の始まりだった。