白馬三山の旅 ~ウィルダネスの生命の躍動~
2日目 8月9日 白馬岳頂上宿舎・テント場~白馬三山~白馬鑓温泉・テント場
夜通し強風とときおりやってくる強い雨で、何度も起こされた。
自分が森林限界を超えて、生命が乏しい地域に足を踏み入れていることを再認識した。
そんなウィルダネスエリアに高山植物が咲き誇っているという事実。
そんな事実を誰かの本やブログで知ったとしても、それはとても浅はかな知識だ。
自身の身体を通して、その厳しさと奇跡を知ることができれば「いのち」そのものに対して強い感動を覚える。
朝一に暖かい味噌汁とご飯を作って、身体を温めるように噛みしめる。
真夏とはいえ、ここまで高度を上げると朝晩はとても寒い。
高山には夏はなく、冬から春、春から秋、そして冬になると言われるほどだ。
暖かい味噌汁が身体の内側を一気に温める。
強風の中、テントを片付けて、バックパッキングを終えると白馬岳の山頂を目指して歩き始める。
朝から頂上付近(標高2900m周辺)の天候は雲の中だった。
噂で聞いていた頂上付近の風も予想以上だ。今日の午前中のルートはずっと稜線だから不安は大きくなる。
ときおり身体が大きく揺さぶられるほど強いのにも関わらず、高山植物たちは大地から剥ぎ取られることなく風をいなす。
根を降ろすということは自由さが失われるのではないという気がしてくる。
大地にしっかりと張り付いていくからこそ、大気の中を自由に動けるのだから。
こういった過酷な環境にも関わらず、あまり飛ばない鳥の雷鳥がいることも面白い。おそらくこの環境で飛ぶことはあまり必要ないのだろう。
昨日、同じ時間帯に登山口から大雪渓を登った人たちと再会を果たす。
彼らはこれから私が通るルートとは真逆の方へと行くという。
北アルプスは日本の登山コースのなかでも多彩なルートが開かれている。
お互いに今日の目的地を共有すると少しばかりの雑談をして、お互いの無事を祈って別れる。
次に会うのはいつどこかわからない。会わないかもしれない。
それでも寂しい想いをしない山の別れはいまだに不思議だ。
次の目的地である杓子岳山頂までのルートは晴れていれば美しい稜線歩きなのだが、
今日は雲が次々に通り過ぎて、10分に一度少しばかりの晴れ間にその美しい稜線のカケラを見せてくれる。
青い空に青い緑、白銀の雪渓に一筋の登山道。
それがほんの少し見えるだけでカメラを向けたくなるほど美しい。
夏の高山帯の旅はこの景色があるからこそ、人々を惹きつける。
杓子岳の山頂への道から次の目的地である白馬鑓ケ岳までのコースは白馬名物の強風が行く手を阻む。
この風は学校で習う偏西風だ。
北アルプスの一番北側に位置する白馬三山はこの偏西風をダイレクトに受ける。
偏西風とはユーラシア大陸からふく風のことだが、もともとは赤道と北極の温度差によって発生する空気の移動に、地球の自転による力が合わさった風だ。
この風はつまり、地球が動いている証でもある。
そして、この風が日本を含む温帯地域の気候に大きな影響を与えているのだが、この話はまたの機会に。
杓子岳山頂にて少しの休憩の後、鑓ヶ岳に向かって歩き始める。
標高2900mほどのウィルダネスエリアでは生命の気配はほとんどない。
夏には高温と乾燥、冬には極寒と大雪。
視界が悪い中、なんとか見える右側には黒い岩石が広がるだけだ。
左側は文字通り絶壁でほぼ垂直の崖だ。真ん中には道しかない。
たとえ強風に煽られたとしても、左側に体勢を崩しては助からないだろう。
その崖にふと目をやると、そこにはポツンポツンと高山植物が張り付いている。
こんなところでも生き抜いてしまう高山植物の生命力には驚くばかりだ。
稜線上のルートには登山者が歩いたところだけがはっきりと道としてわかるほどに色が変わっている。
それにはっと気づいたとき、身をかがめて目を凝らした。
なぜ、今までこんなことに気がつかなかったのだろうか。
稜線上に生命の気配がないなんて、嘘だった。ただの思い込みだった。
この写真に見える黒い岩石は、岩石の色ではなかった。
この黒いものの正体は「地衣類」だ。
ルートだけは人が歩くせいで地衣類が削られて、岩石本来の色、つまり赤っぽい茶色をしている。
地衣類は地球の陸上に最初に進出した生命体だ。
簡単に陸上の生命史を説明するとこうなる。
彼らが地球の陸上にある岩石に初めて張り付いた菌類で、共生関係にある光合成を行う藻からエネルギーをもらい、岩石から栄養を溶かして生きてきた。
彼らが岩石に張り付いて拡大したおかげで、のちにその地衣類の上に苔が進出し、シダ植物、そして草木が育つようになった。
この辺の話もまたの機会にするとして、
この地衣類がはじめて陸上に進出したときの光景がいま目の前に広がっていることに気がついたとき、
好奇心がふつふつと湧いてきて、足を止めてじっくり眺めることにした。
約5億年前の話だ。もちろん、そのときに人類は一人もいない。
だから誰も見たことがない景色だ。
地衣類自身もこうやって景色として、見ることも感じることもなかっただろう。
ただ、大地に地衣類が張り付いて覆っている世界を。
この地球を「みどりの地球」と表現することがある。
しかし、それは恐竜の全盛期の頃からの話で、2億年前ごろのことだ。
つまり地球誕生から40億年以上、地球に緑はなかった。
その後地衣類が地上に進出して約3億年ほどが黒や茶色の地衣類に加えて、緑の地衣類や苔が姿を見せてた。
いま、わたしの目の前に広がる景色はまさにそのときの景色だった。
こういった景色に出会える場所は高山地帯や砂漠地帯に限られる。
つまり、人間が生きていくことが困難な地域、ウィルダネスエリアの特徴でもある。
地衣類は決してこういった環境でしか生きられないわけではない。
いまでは、樹木の樹皮やアスファルトの上にも生息している。
田舎ではもちろんのこと、都会でも簡単に発見することができる。
いったい地衣類はどうして今もまだ、こんな過酷な環境で生きているのだろうか。
答えは誰にもわからないし、誰も答えてくれないだろう。
分かっていることは、もしこの高山地帯が何かの影響で一気に住みやすい環境になれば地衣類が築いた礎の上に苔が生えてきて、高山植物のような草木が生えてくるということだけだ。
地衣類はそのためにいまもまだそんな場所に生息しているとも言えるのかもしれない。
もちろん、これは人間都合の解釈に過ぎないのだが。
強風の高山帯を終え、午後には一気に降って、今日の目的地である白馬鑓ヶ岳温泉にたどり着く。
標高2000m近くに湧き出す温泉の湯量に驚くばかりだ。
高温の湯水に、硫黄独特の香りが漂う。
テントを張って湯船に浸かりながら、ふと湯水が流れ出た河川を見てみると
ここにもやはり生命が宿っている。
実はこの硫黄が含まれた高温の水から我々地球の最初の生命が誕生したという説があるのだ。
わたしたち生命はいま、とても住みやすい環境に多く生息しているが、
そのはじめとなる、礎となる生命はわたしたちからすると過酷な環境で誕生し、生息していたと考えるとやはり不思議な気がする。
しかしまた、彼らからすればどうしてわざわざ「住みやすい環境から離れて過酷な環境にやってくるのか」と思われているかもしれない。
キャンプ場で仲良くなった人が今回のルートを選んだ理由に「冒険心」という言葉で説明してくれた。
これに納得するとともに、やはり不思議な気がする。
わたしたちは住みやすい環境を作ることに数千年の歴史をかけてきたのに、いざ作ってしまえば、今度は困難な地域に冒険を求めるのだから。
人類が世界中に進出してきた歴史もまた、安住の地を作りながら冒険してきた歴史でもある。
先進国が多く並ぶ温帯地域、つまりヨーロッパ大陸やアメリカ大陸は決してサルにとっては住みやすい環境ではない。
しかし、人類はそこを征服してきた。つまり過酷環境を住みやすい環境に変えてきた。
生命の進化は遺伝子の変化であるが、人類の進化はもっぱら道具や文化の変化であった。
いま、わたしたち旅人がこんな過酷な環境に足を運べるのもまた道具の進化のおかげだ。
そして、そのせいでウィルダネスエリアも少しずつ縮小している。