<北アルプスの玄関口 山の天気>@燕岳~中房温泉 2022.10.3~4 2日目
真っ暗だったテントの屋根が明るく緩んでいく。
綺麗に染まった朝焼けに驚く人たちの声とキーンと張り詰めた秋の冷たい空気に目を覚ます。
寒い朝には寝袋の中にいるよりも、さっさと抜け出して温かいドリンクを作って、外に出た方が良い。
空気も身体も温めるのは朝陽に浴びることだ。温かいドリンクは内側からじんわりと温めてくれる。
朝陽が昇り始めると、それが雲の中であれ、必ず空気が動き出す。
その空気の動きが風だから、朝陽とともに風の流れや強弱が変わる。
夜中に強風で目がさめるくらいだったテントの揺れが、静かにおさまっていく。
朝の音はいつだって静けさとともにある。
今日の朝陽は残念ながら雲の中に隠れてしまった。
多くの登山家たちが思い思いに準備を始める。
朝ごはんを作り始める人、食べる人、テントを片付ける人、写真撮影に励む人、
登山家の朝は早いが、みなそれぞれが今日の予定に基づいて、思い思いに過ごしている。
その姿を見ながら朝ごはんを食べるのが、私の日課でもあり、好きな時間でもある。
雲の中というのも都会では味わえない空間だろう。
気象学で言えば「雲」が陸上に接地していると「霧」と名前を変えることから、山では「雲の中」ではなく「霧の中」ということになる。
すると、都会でも霧が発生するのだから特別な空間ではないような気がする。
しかし、山の稜線で味わう雲の中は特別な空間だ。
都会で発生する霧は動きがほとんどなく、基本的に霧は数時間もあれば晴れてしまう。
しかし山の中の雲の中は動き続ける。晴れたかと思えば曇の中へ、雲の中に入ったかと思えば晴れる。
その動き続ける雲の中にいると、さまざまな現象が登山家を魅了する。
写真を撮る人たちはその雲の動きに合わせて、カメラの向きを変えていく。
雲の切れ間から見える山岳たちはドピーカンの山岳写真よりも味が出る。深みが生まれる。感動が増える。
雲と山のコラボレーションはその瞬間、その場にいた人だけが捉えることができる景色だ。だからこそ、カメラを向ける意味がある。
「空がきれいだ」
ほんの短いこの言葉が誰の口からも漏れる。
山登りが嫌いな私でも、雲の動きを眺めるは好きだ。
むしろ雲の写真を撮りに山に登っていたような気がする。
街中で見る雲、里山から見る雲、高山から見る雲はそれぞれに趣きがあってそれぞれに撮りごたえがある。
雲というのは水蒸気、つまり水(正しくは氷)の動きに過ぎないのだが、
雲を支配する法則はたったの二つしかない。
ひとつは「すべてのものは上から下に落ちる」ということ。つまり重力だ。ただし、その重力は万有引力という宇宙の法則が元である。
もう一つは「太陽熱による上昇」である。熱によって温められて水は、気体となって天に昇っていく。
そして冷やされて氷になり、重力によって落ちて雨となる。
この二つの法則に縛られた水が時に風に動かされて様々な形をつくっていく。
こんだけシンプルな法則にも関わらず、雲の動きは複雑だ。
実は雲の動きがこれだけ複雑なのは日本列島の特徴なのである。
この日本列島には数多の山があり、山脈があり、独立峰がある。
その複雑さが風の向きに影響を与える。
また、四方を海に囲まれているためそもそも雲となる水が多く、雨が多い。
こうして、日本列島では雲がドラマのようにさまざまな登場人物が、さまざまなストーリーを紡いでいく。
本当はもっと複雑な要因が雲の動きと形を決めているのだが、詳しくはまたの機会にしよう。
ここまで話してきたことをまとめると、同じ日に違う山を登れば、天気が全然違うのが当たり前なのだ。
いまは各SNSで全国の登山家の投稿が見られるようになったから、そのことがよく分かる。
今回の山旅では燕岳周辺は晴れていて、富士山側には山の景色を遮る雲はない時間帯が多かった。
しかし、逆側の槍ヶ岳はほとんど顔を出すことなく、雲の中だった。
北アルプスの端っこである燕岳が境目となり、東西で違う空模様が描かれていた。
さきほど雲が陸地に接地していると霧という話をしたが、
こうなると話はややこしくなる。
西側からやってきた雲は燕岳にぶつかる前は雲で、ぶつかっている間(部分)は霧で、東側に抜けていった雲は雲である。
この雲は西側と東側で違う雲になる。
雲を形作る水蒸気は山にぶつかると、草木や岩肌に水滴を奪われるため、必然的に雲の形は崩れてしまうからだ。
よく「山の天気は変わりやすい」というが、
実際は「天気は山で変わる」のが正しい。
山に雲がぶつかることで、霧となり、雨となり、そして晴れとなる。
山を旅するとき、この天気の移り変わりに私たちは一喜一憂するのだが、
それも日本列島ならではの山旅の醍醐味だと思ってもらいたい。
そんな雲の中の旅も山を少し降りてしまえば、終わってしまう。
せっかく登った山をすぐに降りてしまうのはなんとも寂しい気持ちになるが、やはり秋晴れのなか歩く方が気持ちが良いのも間違いない。
雲の中も良いが晴れの下も良い。
それぞれの山旅を味わうことが山の醍醐味というやつなのだろう。
空がこんなにきれいなことに気がつくために、山を登るのも悪くは無い。