<大箕山菅山寺の巨木の森 自然遷移の力>
時間を見つけては原生林へ旅をしている。
今年最初の旅は少し変わったところへ。
おそらくここの名前を聞いてすぐに分かる人はほとんどいないはず。
このお寺は滋賀県木之本町の標高約500mほどの山の中に、千年以上前からあり、
菅原道眞が幼少期に勉学に励んだことで紹介されているところ。
しかし現在は無住つまり廃寺となり、崩壊しつつある建物が巨木の森の中に佇んでいる。
このお寺の周囲にはケヤキ、アカガシ、トチノキ、コウヤマキ、イチイ、モミ、イチョウなど巨木が立ち並ぶ。
さらにこの標高で珍しいブナ林が極相林として残る。
山頂近くには湧き水もあり、大きな池もある。
豊富な水分がこの森林の生命線であり、小さな山にも関わらず最盛期には三つの寺と百もの僧房があった最大の理由だろう。
無住になってから八十年ほど経つこの巨木の森は自然遷移の流れによって、
建築物は朽ち、石垣は崩れ、池は濁り、巨木は倒れる。
木は土に還り、コケが広がり、新たな木が芽生える。
自然遷移の力は全てを飲み込んでいく。
菅原道眞が植えたという山門のケヤキの巨木は一つは数年前に倒れ、残り一本だけが佇む。
全国に残るケヤキの巨木は間違いなく里山にあり、神木扱いをされて、丁寧に扱われている。
それがなくなれば、たとえ巨木といえども極相林へと遷移していく。
山で植生について話をするとき、それはいつだって標高や地形によって切り替わっていく様子をもとに説明する。
しかし、ここで今起きていることは「時間の隙間(エッジ)」である。
つまり、人間がこの地球から居なくなるときに里山で起きる景色が今このときに行われているのだ。
本来極相林に流れる時間はもどかしいほどゆっくりだが、極相林へ向かう時間が思いの外、ダイナミックである。
実は、日本の山には結構な数の廃村がある。
その廃村ではここと同じように誰にも知られることなく、里山が極相林へと移り変わっていっている。
一見、その光景はここのように荒れているようにも見えるし、少し怖い感じもあるだろう。
この静けさの中で起きていることは
全ては土に還り、全ては自然遷移の流れに飲み込まれて、極相林の世界に還っていく循環の物語の一コマである。
ここで起きているダイナミックな遷移の物語は、実は人間が里山を創り出す主動力であることの裏返しでもある。
栄枯盛衰。すべてのものは栄えるとともに廃れていく。
あと100年もすればここの巨木の森の植生は姿を変えてしまう。
それよりも少しばかり早く寺院は土に還り、石垣は崩れてしまうだろう。
それが山に還るということであり、自然に還るということだ。