<白山原生林と宗教>
@白山の旅 白山信仰 2023.7.22
白山原生林には人の匂いが残る。
というと少しばかり不思議かもしれないが、植物に詳しい人なら納得だろう。
この白山核心部へと続く禅定道の道なりには食糧となるものや薬草となるものが多くみられる。
昔から奥山に立ち入って暮らしていた人々がいた。
その中には原生林のなかにある薬草を採取し、加工し、里の人々に送り届けていた人々もいた。
白山は人々を癒し、養う食糧と薬草を抱きつつけた。
春には春の山菜、夏には渓流の魚、秋には秋の山菜(キノコとドングリなどの木の実)
里山にはない山の恵みを享受する人々は山の民と呼ばれ、文化人類学者の巨匠・宮本常一の調査と文献に多く登場する。
こういった人々とは別に同じように山の恵みを採集して、里の人々に送り届けた人々がいる。
それが修験道の思想を持ち、奥山で修行の日々を過ごしていた宗教家たちだった。
泰澄大師が白山核心部へと続く道を切り開くと、日本国中からこの白山にやってきては篭って修行する宗教家たちが現れた。
彼らを養う食料などの生活品は里から持ち運ばれたが、それと代わりに多くの山の恵みが里へと送り届けられた。
その中心部となったのが、現代では登山口の拠点となっている市ノ瀬である。
市ノ瀬の「市」とはまさに市場が開かれた場所を意味している。
宗教家たちにとってこの白山は神聖な土地であり続けた。
それは人間の都合による開発を避ける役割を担った。
「草木国土悉皆成仏」という言葉はインドの大乗仏教から発展を遂げた日本仏教ならではの言葉だ。
これはもともと大乗仏教では成仏できるのは心を持った生き物、つまり人間と動物に限られていたが、中国仏教で「草木成仏」と植物が加えられ、日本において無機物である「国土」までもが加えられた。
現代になって、梅原猛は「山川草木悉皆成仏」という分かりやすい造語を示し、1986年に当時の首相中曽根康弘が施政方針演説で用いたことで、私たちに広く知られるようになった。
ここまで白山の世界にまつわる話をしてきたように、「有機物(人間や動物、植物)も無機物(山川国土)もすべてが仏になれる」という思想は日本民族が古来からも持ち続けたアニミズム(古神道)と仏教が融合した証である。
だからこそ、白山原生林には巨木たちが今もなお残り続けているのである。
白山原生林はそのアニムズムと繋がった仏教が遺した森である。
当時の宗教観では食糧危機も自然災害もすべては祟りや天罰と考えられた。人々の意識や暮らし、そしてときの権力者たちの政治の良し悪しが実りの悪さと恐ろしい災いとなって人々を襲った。
そのため仏教に携わる者たちの活動は人々を救うことであり、災害を防ぐことだった。それは宗教儀式を通しても行われたが、山の恵みを里の人々に届けることも巨木林を守ることでもおこなれた。
当時の宗教は決して精神的な分野だけが専門ではなく物理的な分野も含まれていて、実体験としてご加護を受け取れる者だった。
明治元年に神仏分離令が発令されると全国で廃仏毀釈の運動が起こり、山頂や登山道の各地に置かれていた仏像は、このとき引き下ろされたという。
そして修験道も禁止され、白山信仰と禅定道へのお参りも廃れてしまう。
神仏習合の象徴だった白山比咩神社、平泉寺白山神社、白山長滝神社などはほぼ強制的に神社に分離された。
そして、それからしばらくして手取川の最大規模の氾濫が市ノ瀬を一気に飲み込み、河口域へとなだれ込んだ。そのときの激しさを伝えるのが市ノ瀬から少し手取川を下ったところにある百万貫の岩である。
この大規模の洪水災害と人々の思想や暮らしが繋がっているかどうかは分からない。
しかし白山信仰はこれを機に徐々に復活を遂げていくのである。
手取り川の氾濫をくぐり抜けた森に登山靴が刻むビート、涼風が奏でる木の葉。
今、人々は宗教家としてではなくアウトドアとして白山の原生林を抜け、禅定道をいく。
今、人々は科学的な見解と経済的な効果を元に原生林を守り、癒しと健康をいただく。
光と陰、陽と水、風と土。
善悪、好き嫌い、正邪。
白山は全てを受け入れて、全てを生命に変えていく。
南竜ヶ馬場のキャンプ場でしょっちゅう白山に登り、テントを張ってバカンスを楽しむという人に出会った。
登山を始めたばかりで念願の白山遠征で訪れたという方に出会った。
土曜日ともなれば、キャンプ場は老若男女で溢れかえり、みながそれぞれの物語を交差させる。
誰もが壮大な夕日に目をやり、幾千もの星に抱かれて夜を過ごし、朝日とともに動き出す。
白山自体は噴火や洪水を通して何度も形を変えてきた。
そして人々はその白山の動きに合わせて、思想を変え、暮らしを変えてきた。
そのすべての交流と営みこそが白山信仰であり、人々の暮らしであり、歴史である。
白山に抱かれた原生林を守ってきた宗教、そして科学と経済。
時代に応じてそれらの評価はまちまちだが、これからも白山信仰は続くだろう。
人々が白山に通い続ける限り。