<10年経っても変わらないもの>
@屋久島の旅 永田歩道・益救参道 2023.8.28
「10年経っても変わらないもの」
それを確かめに来たんだ。
10年ぶりに訪れた屋久島の原生林の核心部は
姿を大きく変えていた。
大規模な土砂崩れの跡地は2メートルほど草木が生い茂り、森林に還りつつあった。
前に通ったときは崩れてから数年だったから足元にしか草木は生えておらず、自然の脅威のほうが鮮明だった。
しかし、10年の月日は藪漕ぎが必要なほどの森林に成長するには十分だったようで、見晴らしはほとんどなく道すらも飲み込んでしまうほどだった。
そのため私たちは何度も道を見失った。
この10年間でこの道を通ったのはおそらく100人もいないだろう。
屋久島の登山道は「歩道」という名がついているように、人が何度も歩いたことで自然発生的に生まれた道だ。
そのなかで益救(やく)参道だけは数百年前から宮之浦集落の人々が岳参りで利用していた参道であり、文字通り宮之浦岳にある奥宮に通じる道である。
龍神・風神・雷神の三杉が鎮座するエリアまで苔むした石畳の参道は続いている。
10年経っても変わらないものがある中で、10年経てば変わるものがある。
人々はその不変と変化の中で信仰を続け、暮らしを続けてきた。
それは人だけに限らず、この屋久島に住むすべての生命にとって同じことだろう。
「おかえり」という声が聞こえる。
10年ぶりに会う友からも、屋久島からも、森の精霊からも声をかけられているようだ。
一歩一歩進むたびに蘇る記憶と思い出に、ひとつひとつ遡る物語と感情。
10年という月日は一瞬と永遠を織り交ぜていく。
10年前にここに初めて訪れたとき、
私の魂は大きく深く揺さぶられた。
その「ふるえ」を思い出したくて、またここに訪れたのだった。
私の魂はその「ふるえ」とは10年前と変わらず、そして10年前と違うようにふるえた。
原生林の生命たちは私に語りかける。
その語りに私はうまく応えられない。
なぜなら、その語りはすぐに答えを出す問答ではなく、
10年後にふと思い出すような美しい物語なのだから。
それでいい。いや、それがいい。
現代社会はすぐに答えを出したがる。すぐに変化を求めたがる。
しかし、原生林ではまるで永遠のように長い一瞬が刻まれているのだから、人間の尺度で求めてはいけない。
そのなかで語られる声に、そのなかで揺られる魂に、
私はすぐに応えることができない。
しかし、それらは確実に私の身体の中に軌跡を遺す。
それはいつどこでどんな形でどんな風に溢れ出すのかは分からない。
10年経っても変わらないものが、10年経って変わるものが私の中にもある。
「それが生命というものなのだ」
そうノートに書き記して、ここを後にする。
次はいったい何年後にここを訪れるのだろう。
いつかどこかでこの旅のことを思い出すのだろう。
そしてそのたびに私は原生林の記憶を映画のように語り出すに違いない。
屋久島の旅 完