<自分を大切にするということ>
@雲の平への旅 2023.9.30
太郎坂キャンプ場からゆっくり谷底へと下っていく。
他のハイカーたちもそれぞれのスピードで下っていく。
私の歩くスピードは早い方だが、休む回数も多いし、写真を撮る時間も多い。
そのため、大抵のハイカーを同じペースで山を旅することになる。
今日の予定は一般的なハイカーからするとゆったりすたペースだろう。
昼過ぎには雲ノ平山荘に到着し、午後からはずっと散歩の時間だ。
昨日も今日もゆっくり自分の時間を過ごす。
山を旅するときにいつも意識ていることがある。
それは「自分を大切にする」ということだ。
旅先から、ルート選び、出発時刻から到着予想時刻
キャンプ地、食事のメニュー、道具選び
言い出したらきりがないが、旅の全てにおいて意識していることが
「自分を大切にする」こと。
山に入り始めてから終わるまでの間も、それは変わらない。
天気はどんどん変わっていくし、体調も一刻一刻変わっていく。
気分も変わるし、出会う人々からの話も参考になる。
それでもやはり常に意識して旅をする。
私たち現代人は周りの人と比べてしまって
他人と同じようにしてしまったり、逆に他人と違うようにしてしまったりする。
情報に溢れる現代では参考になる情報も、真似したくなる情報もたくさんある。
その中でどれだけ自分を軸にして、自分の心の奥から溢れてくる声に耳を傾け、
自分を大切にできるのか。
それが山に入るときにはことさら重要だ。
なぜなら山に入るとき、私たちは嘘をついてはいけないからだ。
自分の嘘をついてしまえば、最悪のケース、遭難や事故、死に至る。
今までの山旅のなかで私は高山病になったり、両膝を痛めてしまってなんとか下山したり、と自分を大切にしていないせいで苦労したことがなんどもある。
自分の体力・技術・体調について一番よく知っていなくてはいけない。
それが分かっていないと自分を大切にすることはできない。
それが十分に分かっていれば、旅の準備から終わりまですべてを無理なく楽しめる。
自分を大切にして山に入ると、山は感応して、素敵な物語を用意してくれる。
それは決してご褒美などではなく、山との不断の交流におけるひとつの風景であり、楽しい対話の時間でもある。
だから、自分を大切にしている人とそうでない人では同じ日に同じ時間帯に同じルートを同じように歩いたとしまっても、全く違う体験となる。
私はよく旅の途上で出会う人々と情報交換をするのだが、
私しか気づいていない風景や生き物たちが多い。
自分を大切にしていない人たちは余裕がなくなってしまい、足元の石ころの美しさにすら気がつけていないのだ。
山はいつも私に言う。
「自分を大切にできない奴は
大切な人も、自然も、地球も大切にできやしないよ」と。
余裕のない人の足取りは山を削っているのがよく分かる。
大地に、そこに生きる物に、見えざるもにに、何の配慮もない。
だから、その人が歩いた後には傷ついた痕がくっきり残る。
その傷は、その人自身の中にも同様に刻まれている。
しかし、本人はそれに気がついていない。
メインルートの登山道を観察しながら旅をしていると、そのことがよく分かる。
ハイカーたちがあまり歩かない高天原ヶ峠周辺の原生林地域へと足を運ぶ。
モミやツガが中心となる極相林は静けさの中にただただ存在している。
こういった原生林は人の影響を受けやすい。
人がむやみやたらに入り込めば、植生は一気に失われるだろう。
ここ雲ノ平に人が入るようになったのは現代に入ってからであり、ハイカーが訪れるようになった頃にはすでに環境保護の意識があった。
だからこそ、ここの原生林はわずかばかりしか残っていないが、その威厳さはそのまま残っている。
これからもこの地に人はたくさん訪れるだろうし、それなりの開発は進むだろう。
それでも訪れる人が自分を大切にすることができれば、それほど大きな悪影響は起きないのではないだろうか。
事実がどうかはわからない。
それでもそうであってほしいと強く思う。