<暮らしのデザインと楽園づくり>
パーマカルチャーとはpermament(永続的な)とculture(文化)またはagriculture(農業)をくっつけた造語で、日本では「永続可能な農的暮らしと文化」と紹介されている。
この説明だけでは正直、何のことを言っているのかが全く分からない人も多いのではないだろうか。そういう私も初め聞いたときはいったいどんな暮らしなのか全く想像できなかった。
はじめてこの言葉に出会ったのは2014年にアメリカをヒッチハイクで旅したときだった。グランドキャニオンに向かっている道中で拾ってくれた方が、パーマカルチャーを実践しているという自宅に招待してくれたのだ。そこで私が得た印象はまさに「自給自足」の暮らしだった。
食べ物は自分のファームから収穫し、生ゴミやニワトリのフンをコンポストで堆肥化させて、またファームに戻す。水は雨水を貯めて、浄水して飲用し、シャワーや選択に利用し、排水もまたろ過装置を通して、ガーデンの池に流す。そのほかにも太陽光エネルギーやアースオーブン、ロケットストーブなどによるエネルギーの獲得と利用などを見学させてもらった。つまり、衣食住などの暮らしに必要なものを外部から購入するのではなく、自前で自給する暮らし。
田舎暮らしを考えていた私にとってその出会いは刺激的で、大いに興味を持つことになった。しかし、少しばかりの違和感もそこにはあった。その違和感の正体はどこか反社会的で、反資本主義的な雰囲気があったことだ。とくに彼の説明では「お金をかけないこと」や「誰かに依存しないこと」に対してどこか執着しているように感じたのだ。実際のところ、海外でも国内でもパーマカルチャーを学び実践している人の精神にはそういう思想が入っていることがある。それについては違う機会に話をしたい。
2018年に日本でパーマカルチャーデザインコースを受講し、パーマカルチャーデザイナーの国際資格を得た。その後自身の暮らしの中での実践と学びを繰り返す中でぴったりな言葉に出会う。それが開発(かいほつ)だ。
江戸時代の開発(かいほつ)という言葉には「世の中にある、あらゆる動植物の能力を引き出し、人々が飢えずに健康に生活できるようにする」という意味合いがあるという。実はもともと仏教用語である。この言葉に出会った時に私は「これがまさにパーマカルチャーだ」と叫んだ。
パーマカルチャーの生みの親と言われるビル・モリソンはもともと日本・韓国・中国の里山で400年以上にも渡って続いてきた暮らしから着想を得たと述べているように、江戸時代の暮らしはまさにパーマカルチャーと呼べるだろう。しかし、勘違いしないでほしい。決して「江戸時代の暮らしに戻れ」と言っているわけではない。
昔ながらの伝統的な暮らしと最先端の文明を同じように扱って、「あらゆる動植物の能力を引き出し、人々が飢えずに健康に生活できるようにする」のだ。また今だけの事実を見るのではなく、過去の事実を研究し、そこから新しい知識や見解をひらく温故知新も重要となる。
今現在、私の考えでは「自然を愛するヒトにとっての、地球を最大限楽しむための学問」であり、パーマカルチャーデザインされたフィールドは「自然を愛するヒトにとっての楽園」である。もしあなたが「自然を愛するヒト」ならば是非一度はパーマカルチャーデザインされたフィールドに足を運んでもらいたい。間違いなくワクワクして、幸せな気持ちになるだろう。
つまり、あなたにとっての楽園を植物や動物はもちろん、太陽光、風、水、石などの非生物も活用してデザインしていくことである。そしてそれはフィールドのデザインだけにとどまらない。あなたの暮らしそのものをデザインするのもパーマカルチャーの魅力だ。あなたらしく、そのフィールドの特性を活かして「循環とつながり」を生み出すこと。
パーマカルチャーには「これをすればいい」とか「絶対にこれ!」といった正解やパッケージがあるわけではなく、表現方法が無限にある。同じフィールドでもそこで暮らす人が違えば、必ず違ったデザインになる。
適正技術にはあなたの趣味や嗜好も関わる。
たとえば土と藁だけで作ったアースオーブンは人気が高いが、もしあなたがチーズが苦手で、ピザがあまり好きでなかったら、あっても使われないただのオブジェにしかならない。それならば、家の中に囲炉裏を作って、鮎やお餅を焼き、鍋パーティーを開く方が適正である。
わかりやすい象徴や目新しさは人を呼ぶが、暮らしを豊かにしてくれるわけではない。
だからこそ、あなたがイキイキと生きるために必要なものは何か、という問いに具体的に答えられるようになってほしい。
パーマカルチャーは里山全体を一つのシステムとしてみる。ビルモリソンは日本、中国、韓国の里山からパーマカルチャーの発想を得たように、自分のフィールドだけでデザインしてはパーマカルチャーの魅力は味わえない。特に日本の場合、江戸時代から続くように村や集落の意識が強い。その中で自分のフィールドだけでデザインをしてしまうと周囲の人々との軋轢を生みかねない。
また近年では「ソーシャルパーマカルチャー」という言葉で社会、ビジネス、政治や経済システム、健康、教育・学びの環境などにパーマカルチャーのデザインは適応され、そして実践されている。ヒトはひとりだけでは生きていけないからこそ、コミュニティ・デザインもまたパーマカルチャーの実践の場である。
このようにパーマカルチャーデザインとはただ単に循環的なフィールドをデザインするだけにとどまらず、「ヒトの暮らしのデザイン」と言えるだろう。とはいえ、パーマカルチャーデザインはどこでも誰でにすぐにでも始められる。それは田舎の山奥だろうと、ビル街のど真ん中だろうと。ポイントは「循環とつながり」にある。